いのちの環

イノシシが久しぶりに罠にかかったぞ、親子で。

 

連絡をくれたのは定期的に施術を受けてくれている村のおじいさん。

 

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最近は車の運転もできるくらいまで 回復してきています。

 

仕留めからちょっと手伝ってくれないか?と相談があり、参加することに。

 

おじいさんの息子さんも加勢し

久しぶりのこの感じにドキドキしながら檻罠があるところに行ってみると、

母イノシシと、うりぼうくらい(縞はなかったので少し成長している)の子イノシシが

ちょろちょろと動き回っていました。

 

母イノシシは威嚇して泥を飛ばしたり、檻の中からでも突進し、

顎をガチガチ鳴らしています。鼻先には突進でできた深い傷があり痛々しいです。

 

子イノシシが前に出てこようとすると

自分の体を押し出して庇うように子を守ります。

 

怯える様子もなく勇敢なその姿 に ”生” 感じます  。

"生" は 息が絶え心臓が止まる瞬間まで力強くエネルギーを放ち、

ある瞬間を境に 急速にどこかへ抜けていく。

そして 生は死へと変わっていく。

 

様々な気持ちが湧き上がってきます。

目を背けたくなるようなことに目を向けると色んなことが浮かび上がってくる。

 

おじいさんも久しぶりのいのちとの対峙に勘が戻ってきたのか、血気満ちていくような感じ。

イノシシが掘り起こしたぬかるみに、杖なしで電気槍を持って挑む。

仕留めこそ息子さんが行いましたが、

本気のいのちのやりとりに自ずとパワーが湧いてくるのでしょうか。

 

今回は解体せずそのまま山へ還すという話でしたが、

畑を荒らすから罠をかけ、罠にかかれば殺生し山へ還すというのは自分ら的にひっかかる。

ということで 、食べるために、子イノシシだけでも

監督不在のなか初めて自分たちだけで捌かせてもらうことにしました。

 

何度か解体したことはあるものの、いざ自分たちだけでとなると

なかなかスムーズには進まず時間もかかりましたが、無事捌くことができました。

きれいに捌くことはせめてもの敬意、礼儀だと感じたので、近々研修を受けに行かなきゃ。

 

余すところなくいただく、皮も楽器づくりに使わせてもらいます。

この日の夕食はハツ・心臓、レッグをおいしくいただきました。

スーパーでパック売りにされた肉を買うことが本当に少なくなってきている。

どこかへ抜けたはずの生のエネルギーは紛れもなく私の血肉となり一部となる。

死は生へと転換される。

私の勝手な都合の良い解釈なのかもしれない。

それでもいのちの背景をなるべく感じたい。

その上で自分なりの選択をしていきたいと思う。

 

価値観はもちろん いろいろあっていい。

生死・いのちの単位は動物だけに限らない。

植物も空気や水も、すべてにいのちが宿る、日本では八百万の神々で

オーストラリア先住民アボリジニたちはそれをジュクルパ(ドリーミング)と呼ぶ。

 

自分が からだまるごと、全身で本質と繋がる一端に導かれ今日も生きる!

 

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生きることは食べること。.ゲッコーもせっせと狩りしてる。